今日の出来事

こんばんは今日は午前中、知り合いの葬儀屋さんが桐ケ谷斎場で火葬式を行っていましたのでちょっと挨拶に行きました。午前中、火葬式が多かったですね。
午後は先週に大田区の平和の森会館で家族葬のお手伝いをさせていただきましたご家族様のご自宅にお伺いいたしましてお位牌のご依頼をうけました。
今日は午後3時ごろには上がりまして少しゆっくりさせていただきました。
桐ケ谷斎場や臨海斎場での家族葬、1日葬儀、火葬式、葬儀相談をお考えのご家族様は家族葬専門店の弊社までお問い合わせ下さい。松崎裕太

今日の出来事

こんばんは今日は臨海斎場でご家族、ご親族20名の1日葬儀のお手伝いをさせていただきました。ちなみに今日の桐ケ谷斎場は6式場中3式場は1日葬儀でした。
お葬式が終え昨日桐ケ谷斎場でお葬式を終えたご家族様からご連絡がありまして香典返しの追加とお位牌の注文をいただきました。夕方には明日、臨海斎場で火葬式を予定しているご家族様が面会にお越しになりました。
桐ケ谷斎場や臨海斎場での家族葬、1日葬儀、火葬式、葬儀相談をお考えのご家族様は家族葬専門店の弊社までお問い合わせ下さい。松崎裕太

監察医務院の持ち込み検案

都内23区にお住いの方が医師の診断無く死亡した場合、原則として所轄の警察署の検死を経て東京都監察医務院の監察医が診断を下します。通常は朝9時過ぎから文京区の大塚を車で出発して都内を順番に回って検案(ご遺体を調べて死因を推定すること)していくので、順番によっては夕暮れ時まで待たされることもあります。
私もつい最近知ったのですが、まれに所轄の警察署が車で遺体を監察医務院に運び検案してもらうという「持ち込み検案」という形があるのです。これだとほぼほぼ午前中で検案が終了し、その後の手続きもスピーディーに済むので大変ありがたいシステムです。
たくさんの警察署が持ち込みを希望したら結局順番待ちになってまた遅くまで待たされるのでしょうけど。

新四ツ木斎場

2015年の2月から工事のため閉鎖していた葛飾区の四ツ木斎場がいよいよ12月1日に営業再開されます。
式場は全部で5室、1室あたりの使用料は216,000円で36席と、町屋斎場など他の火葬場併設式場に比べると一回り小さい式場となっているようです。
家族葬が一般化した現代世相を反映しての新設でしょうか。
ユニークなのは「貴殯館」という名の超高級火葬炉で火葬料金はなんと、350,000円!
日本一、いや世界一の高額な火葬場としてギネスブックの認定をねらっているとしか思えません。
葛飾区にお住いの皆様!
お隣の松戸市斎場なら火葬料3,000円ですから、老後は松戸市の介護施設に引っ越しましょう!!

友人葬

創価学会の会員の方が亡くなると、友人葬と言って、お寺様のいないお葬式を行います。
昔は創価学会は日蓮正宗のお寺を呼んでお経をあげてもらっていたのですが、ある時からそのお寺と喧嘩別れをして、自分たちだけでお経をあげ、葬儀を仕切る形に変わってしまったのだそうです。会員同士の友人だけでお葬式をするので「友人葬」というわけです。
昔は本山(聖地)があったのが、今は創価学会の本部が本山(聖地)という事になるのでしょう。

友引

きょうは友引の日です。
昔から友引の日は葬儀を避けるという言い伝えにもとづき、
23区内8か所の火葬場のうち、7か所は定休日となっています。
横浜市内にある4か所の火葬場のうち3か所もお休みです。
友引の日に葬儀をおこなって、参列者のなかに次の日に突然死した人がいれば、
その葬儀に参列しなければ死なずに済んだと言われかねません。
人は後になってから様々な事象を関連づけて原因と結果(因縁)を結びつけるものです。
しかしそのおかげで都市部の火葬場が予約がいっぱいで、
何日か待たなくてはならない事態が起こってしまっているのも事実です。
迷信はなかなか消滅しないものなのですね。     稲毛英一

返礼品

お葬式でいただく返礼品といえば
第1位~お茶(あんまりおいしくない)
第2位~海苔(何か月か経って食べようとしたらシケッテル)
第3位~タオルハンカチ(家にたくさん溜まっていく)
などが定番ではないでしょうか。
あまりめずらしいものはなかなか選びにくいのが不祝儀の常ですが、
それでも少しずつバラエティに富んだ品が増えてきています。
ケーキ、クッキー、コーヒー、紅茶は今や定番となりつつありますし、
鮭缶詰、梅干し、サラダ油、つくだ煮、ゼリー菓子やバームクーヘンなど、
消え物(食べてなくなるもの)中心ではありますが、
少しずつ品種類が増えてきてはいます。
ただ、家族葬が多くなって数多く売れないのが悩みの種です。

花祭壇や供花など、葬儀と花は切っても切れない関係にあります。
むかしは葬儀の花といえば『白い菊』と決まっていましたが、
現代は様々なお花を使うようになりました。
『カーネーション』『ユリ』『スプレーマム』『トルコキキョウ』『胡蝶蘭』
『カトレア』『デルフィニウム』『カスミソウ』『ガーベラ』『ベラドンナ』など、
色もピンク、紫色、黄色、オレンジ、水色のほかに、真紅の薔薇まで
多種多彩というか絢爛豪華と言おうか、ほとんどお祝いに近い色使いまでなさる方もいます。

都立広尾病院

青山への移転問題で何かと話題の都立広尾病院ですが、
その歴史は古く、明治22年(明治憲法発布の年!)に開設された
伝染病専門病院がはじまりだそうです。
現在は23区内唯一の基幹災害医療センターとして、東京ER広尾として、
屋上のヘリポートからは伊豆諸島などの離島からの重篤患者を常時受け入れ、
24時間眠らない病院=緊急医療の中心的役割を担っています。

どの病院にも霊安室があり、そこでは契約している葬儀社が病院のお手伝いをします。
都立広尾病院の場合、葬儀社は病棟によって3社が契約しています。
例えば101病棟はA社、103病棟はC社という感じです。
契約は1年ごとに更新され、入札で決定する建前になっていますが、
なぜか同じ会社が当選してくるという状態があったりもします。
詳しいことは省きますが、
都の行政の不透明な一面がここでも透けて見えてくる気がします。

遺影写真2

きのうのつづきですが、
49日まで付けておく例の黒いリボンは一説によると、太平洋戦争で戦死した人の写真に付けたのがはじまりらしいです。
つまり宗教的なしきたりというよりは、英霊をお祀りするお飾り的な意味合いが含まれていたのかもしれません。
かつての村社会では忌中(49日までの期間)は外出や村の行事への参加も禁止されて、
慎ましく静かに生活しなければなりませんでした。
しかし現代は葬儀が終わればすぐ仕事に戻り、旅行に出かけることに躊躇する方も少ない時代です。
葬儀の略式化・イベント化は今後ますます進むといっていいでしょう。   稲毛英一

お葬式の遺影について

お葬式の祭壇になくてはならないものとして遺影写真があります。
たくさん葬儀を見てきて遺影写真のない祭壇というものは見たことがありません。
白木祭壇であれ花祭壇であれ、お寺や位牌はなくても遺影写真だけは飾ります。
その遺影写真に必ず掛けてある黒いリボンがここ数年で劇的に変化してきています。
かつては遺影写真の額は黒か濃い茶色で通夜葬儀の当日から49日忌が過ぎるまでは
黒いリボンを掛けなければならないしきたりがありました。
ところが最近は額とリボンの色がピンクや薄紫といったおしゃれな色に変化して、
多種多彩になってきているのです。リボンも付けたり付けなかったりという感じで、
遺影というよりは大きい壁掛けフォトグラフ的な見た目になってきています。
ご自宅に和室が皆無になり、黒い額縁のお写真を飾れる部屋がないというのが、
原因なのでしょうね。                     稲毛英一

テント

最近は葬儀でテントを張ることも少なくなりましたが、一昔前は受付やお清め所を
テントを張って設営したりしていました。よく運動会やお祭りなどで見かける
鉄パイプの骨組みに白い布地の屋根をかぶせた形のものです。
このところずっと雨が続いていたので今日はテントの屋根を天日干ししました。
もうちょっとスカッと晴れてくれれば早く乾くのに‥‥。

家族葬の功罪

今や10件のご葬儀のうち9件は家族葬ではないかというほど一般的に行われていますが、従来の葬儀と何がどう違うのでしょうか。

 →家族葬のいいところ
   ①他人がいないので気心の知れた親族だけで気兼ねなくお別れができる
   ②友人知人に知らせないのでお返しや挨拶などの煩雑なお付き合いが省略できる
   ③葬儀費用のうちの接待費(料理や返礼品)が縮小できる

 →家族葬の問題点
   ①参列者がいないため香典収入が少なくなり結果的に高くつく
   ②一部の人に葬儀の日程が漏れて当日式場に会葬者が来てしまい大混乱になる
   ③式場に参列できなかった人が大勢自宅にお悔やみに来てその対応に追われる
   ④趣旨を理解してくれない地方の親戚などともめてトラブルになる

故人と家族はもちろんですが、周りのご近所や親戚・ご友人のご理解の上で
家族葬を進めていくことが大切なのだと思います。          稲毛英一

家紋

お葬式とは、本来「〇〇家」のお葬式と呼称されるのが正式でした。
そしてそれぞれの家には代々伝わる『家紋』があって、
葬儀式場の入り口には家紋を印した提灯をぶら下げたものです。
家紋はほかにも看板や会葬礼状などにも印され、
葬儀の基本アイテムの一つと思われてきました。
しかし、ここ数年(あるいは十数年)の間にすっかり様子が変わり、
葬儀式場において『家紋』を見かけることはほとんどなくなりました。
お葬式が「〇〇家」から「故〇〇〇〇様」へ移行して、
人々の意識から「家」というものが消えていったことの象徴が、
『家紋』の消滅なのです。                稲毛英一